雅子さまは結婚したくなかった?それでも皇室入りを決意した涙の理由

雅子さまって、本当は結婚したくなかったの?

そんなショッキングな見出しに、驚いた方も多いのではないでしょうか。

華やかな皇室入りの裏で、外交官として輝いていた雅子さまが抱えていたのは、キャリアを失うことへの不安と、皇室という未知の世界への戸惑いでした。

では、なぜそんな雅子さまが皇太子さま(現在の天皇陛下)のプロポーズを受け入れたのでしょうか?

その答えには、“涙”に隠された深い想いと、ある言葉の力がありました。

そこで・・・

この記事でわかること
  • 雅子さまが「結婚したくなかった」と語った真意
  • 繰り返されたプロポーズとその舞台裏
  • 皇室入りを決意させた“涙の理由”と上皇陛下の言葉

と言った内容を中心に、雅子さまが「結婚したくなかった」と語った真意と、決断の舞台裏を、会見の言葉や歴史的事実に基づいて丁寧に紐解いていきます。

本当の気持ちを知ったとき、きっとあなたの見方が変わるはずです。

目次

雅子さまは「結婚したくなかった」のか?その真意とは

ミモレ https://mi-mollet.com/articles/-/20204?page=3&per_page=1

皇室との結婚を前に、雅子さまはなぜ「結婚したくなかった」と報じられたのでしょうか。

その背景には、当時の社会的立場やご本人のキャリア、そして揺れる心の内がありました。

結婚をめぐる報道の経緯と本人の言葉

「結婚したくなかった」と言われる雅子さま。

ですが、実際にはそんな直接的な言葉を公の場で語られたことはありません。

この“印象”の源となったのは、ご成婚前の約6年間にわたる“逡巡(ためらい)”の期間です。

皇太子(現・天皇陛下)からの度重なる求婚に対し、雅子さまはなかなか即答せず、断ったこともありました。

その背景には・・・(俗に言う結婚したくなかった理由になります)

  • 外交官としてのキャリアを追いかけたいという強い思い
  • 皇室に入ることへのプレッシャー
  • 皇太子妃になるという重責

がありました。

結果として「迷い続けた=結婚したくなかった」と解釈されたことが、現在に至る誤解の一因になっています。

 実際、ご成婚会見で雅子さまは次のように語られています。

そのような皇太子殿下の真摯な、大変誠実なお言葉をいただいて、そういうお気持ちをわたくしとして大変幸せに思うことができましたので、「わたくしにできることでしたら、殿下のことを幸せにして差し上げたい」というふうに思った次第でございます。
テレ朝news https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000279063.html

この言葉ににじむのは“断りたい”ではなく、“受け止めたい”という責任と誠実さです。

つまり、雅子さまは「結婚したくなかった」のではなく、「結婚していいのか悩んだ」方なのです。

繰り返されたプロポーズと悩み続けた7年

雅子さまと皇太子さま(現・天皇陛下)が初めて出会われたのは、1986年10月18日、赤坂御所で行われたティーパーティーの席でした。

この会は、スペインのエレナ王女の来日を機に設けられたもので、外国語に堪能な若手官僚として雅子さまも外務省から招かれました。

その場で雅子さまの知性、語学力、柔らかな物腰に惹かれた皇太子さまは、後日「この方しかいない」と強く感じられたといいます。

しかし、出会いからすぐに恋愛関係に発展したわけではありません。

最初のプロポーズは、1987年ごろとされています。

交際らしい交際があったわけではない中での求婚に、雅子さまは驚き、そして一度お断りされました。

理由は明快です。

外交官としてのキャリアを志し、当時すでにハーバード大学を卒業し、外務省で働いていた雅子さまにとって、「皇室に入る」ことはあまりに突然で、想像もつかない道だったからです。

しかし、皇太子さまは諦めませんでした。

その後も、1989年、1991年ごろと、節目のたびに雅子さまの元を訪れ、思いを伝え続けます。

雅子さまが結婚を決意された、ふたつの「プロポーズ」

そしてついに雅子さまの心を動かすプロポーズのことばがありました!

正式にプロポーズの言葉があったのは、1992年10月3日、千葉県市川市の「新浜鴨場」での出来事でした。

この日、外務省職員だった雅子さまは、鴨場での“極秘デート”に臨まれます。

鴨場は普段から皇族が賓客をもてなすために使われる非公開の場所で、広大な敷地の中でふたりきりの静かな時間が流れていました。

その中で、皇太子さまは雅子さまに向かって、

「私と結婚していただけますか?」
テレ朝news https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000279063.html

とはっきりと伝えられます。

しかしこのとき、雅子さまは即答されませんでした。

外務省でのキャリア、皇室という未知の世界、そして自らの人生にとっての大きな岐路に、慎重にならざるを得なかったのです。

その後も皇太子さまは、時間を置きながら何度も丁寧に気持ちを伝え続けられました。

11月には「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」と心からの思いを語り、12月初めには「どうぞ充分にお考えになってください」と、雅子さまの不安や葛藤に寄り添う姿勢を崩されることはありませんでした。

そして迎えた1992年12月12日。

今度は東京・元赤坂の東宮仮御所で、

「私からのお申し出を受けていただけますか?」
テレ朝news https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000279063.html

とあらためて想いを伝えられます。

それに対し、雅子さまは、こう応じられました。

「わたくしがもし、殿下のお力になれるのであれば謹んでお受けしたいと存じます」
「お受けいたしますからには、殿下にお幸せになっていただけるように、そしてわたくし自身も自分で『いい人生だった』と振り返れるように努力したいと思います」
AERA DIGITAL https://dot.asahi.com/articles/-/250364?page=1

この日をもって、ふたりのご婚約は事実上成立。

1993年1月19日の記者会見で正式に発表されました。

繰り返された想いと、心からの覚悟が交差したこのプロポーズ。

それは「雅子さまは結婚したくなかった」のではなく、真剣に未来を見つめた末の“決意”だったのです。

単なる“迷い”ではなく、両者の誠実さと信頼、そして“皇室”という人生最大の選択への覚悟が詰まっていました。

「結婚したくなかった」とされる表現は、むしろ「簡単には決められないほどの重み」を象徴する言葉なのかもしれません。

キャリア女性としての葛藤と“皇室”という人生の転機

ミモレ https://mi-mollet.com/articles/-/20204?page=3&per_page=1

雅子さまがご結婚を決意されるまでには、長く深い葛藤がありました。

それは「結婚したくなかった」ではなく、キャリアを捨てること、そして皇室という未知の世界に飛び込むことへの強い不安と向き合った結果だったのです。

外交官としての将来と夢を持ち、実際に外務省で活躍していた雅子さま。

その道を選び続けることもできた中で、皇室に入るという決断は、簡単なものではありませんでした。

では、なぜ彼女はその人生を切り替える選択をされたのでしょうか?

ここからは、雅子さまの内面に迫っていきます。

外交官としての将来と夢

外交官試験に首席で合格し、外務省に入省した雅子さま。

語学力・国際感覚・知性すべてに優れた人材として注目され、国際会議の場でも堂々とした姿を見せていました。

「6年近く勤めた外務省を去ることに、寂しさを感じないと申しましたらうそになると思います。外務省では大変やりがいのある仕事もさせていただいておりましたし、大変学ぶべきところの多い尊敬すべき先輩や同僚にも恵まれて、とても充実した勤務でございました。
mi-mollet https://mi-mollet.com/articles/-/20204?page=2

本人も「外務省ではやりがいのある仕事をさせていただいていた」と語っており、その充実ぶりはインタビューや会見からも伝わってきます。

同時に、上司や同僚からの評価も高く、将来の女性大使候補とも言われていたほどです。

だからこそ、皇太子さまからのプロポーズに対してすぐに「はい」と言えなかったのは当然のことでした。

「この職を辞めることに寂しさを感じないと言えば嘘になる」と語った言葉に、キャリア女性としての揺れる気持ちがにじんでいます。

しかし雅子さまは、何度も何度も悩み抜いた末、「今の私が果たすべき役割は、殿下と共に歩むこと」だと気持ちを固められました。

皇室とのギャップと「消える自由」

外務省時代と比べて、皇室の暮らしはまるで別世界でした。

公務も生活も全てが“公”にさらされ、自由な選択ができない環境。

雅子さまは、その変化に戸惑いを感じていたといいます。 

実際、彼女はご成婚会見の中で

「これから大きな責任をお引き受けすることになる」
テレ朝news https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000279063.html

と語り、相当な覚悟を持って皇室入りを決断されたことが伝わってきます。

「外務省での仕事は本当にやりがいがありましたが、今の私が果たすべき役割は、皇室の中で自分を役立てることではないかと考えました」
テレ朝news https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000279063.html

と、揺れる心の中に新たな使命感を見出した様子も印象的です。

そして何より、皇太子さまからの

僕が一生全力でお守りしますから

テレ朝news https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000279063.html

という言葉が、彼女の心に深く響いたのです。

どんなに不安な環境であっても、自分を理解し、支えてくれる人がそばにいる——その事実が、すべての決断の後押しになったのかもしれません。

雅子さまを突き動かした「涙の理由」とは

ミモレ https://mi-mollet.com/articles/-/20204?page=3&per_page=1

雅子さまが「皇室に入る」と決意するまでには、多くの葛藤がありました。

その気持ちを動かしたのは、ある日、心を打たれた言葉の数々でした。

外交官としての人生を捨ててまで、なぜ雅子さまは皇室という新たな道を歩むことを選ばれたのか。

そこには、表には見えにくい“涙”の理由があったのです。

では、彼女の決意を動かした一番の要因とは——。

ここからは、その核心に迫っていきます。

「皇室入り」を決断させた上皇陛下のお言葉

雅子さまの心を最も強く動かしたのは、当時の皇太子さま、そして上皇陛下(現在の天皇陛下の父)から伝えられた言葉でした。

とくに印象的なのが、皇太子さまからかけられた

「皇室に入られるということには不安や心配があるでしょうけれども、僕が一生全力でお守りしますから」
テレ朝news https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000279063.html

というひと言です。

その背景には、両陛下——とくに上皇陛下の「信じて任せる」という姿勢がありました。

当時の皇太子さまが雅子さまとの結婚を望んでいることを伝えると、上皇陛下はすぐに「雅子さんが相手であれば問題ない」と応じ、何よりも皇太子さま自身の気持ちを尊重されたのです。

直接的な“圧力”や“説得”ではなく、「温かく迎える」という静かな後押しが、雅子さまにとって何よりの励ましだったのではないでしょうか。

そして、そのやさしさと誠実さが、雅子さまの心を動かし、涙を流しながらの決意へとつながっていったのです。

ご成婚会見に見る“涙ぐむ”ほどの想い

1993年1月19日、正式に婚約が内定したふたりは、東宮仮御所で記者会見に臨みました。

その中で交わされた言葉のひとつひとつが、会見の場にいた誰もが胸を打たれるものでした。

記者の「プロポーズの言葉は?」という問いに、皇太子さまは少し照れながら、

「10月3日、千葉県の鴨場で『私と結婚していただけますか?』と申しました」
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と答えました。

その時はまだ即答はもらえなかったものの、後に「わたくしからの申し出、受けていただけますか」と再び尋ね、雅子さまはこう応えました。

「もし私が殿下のお力になれるのであれば、謹んでお受けしたいと存じます」
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続けて、

「私自身も自分で『いい人生だった』と振り返れるような人生にしたいと思います」
テレ朝news https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000279063.html

と話した雅子さまの声は、少し震えていました。

その目には、うっすらと涙が浮かんでいたとも言われています。

この瞬間ににじんでいたのは、迷いや不安を乗り越えた“決意の涙”。

そして、その決意を支えていたのは、皇太子さまの変わらぬ想いと、温かく見守る皇室の支えだったのです。

まとめ|雅子さまが「結婚したくなかった」と語った真意とは?

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ポイント内容
出会い1986年、スペイン大使主催のレセプションで出会う
プロポーズ1992年10月と12月に東宮殿下より正式な申し出
決断の背景キャリアと皇室の間で揺れた葛藤、上皇陛下のお言葉が後押し
成婚会見の姿「人生をかけて支えたい」覚悟に涙ぐむ場面も
結婚の真意「結婚したくなかった」のは恐れや責任感ゆえの苦悩から

皇室に入るということは、単なる結婚ではなく、人生のすべてを変える選択です。

「結婚したくなかった」という言葉の裏にあったのは、皇室という重圧に対する真摯な覚悟と責任感でした。

上皇陛下のお言葉に心を動かされ、「国民と共に歩む皇室」を支える決意を固めた雅子さま。

その姿は、現代女性が大切にするキャリアや自由とどう向き合うかを考えるきっかけを与えてくれます。

令和の皇后になられた雅子さま。

「いい人生だったと振り返えれる人生」にしたいというお言葉のとおり、ご活躍をされています。

これからのますますのご活躍を応援していきましょう。

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